「なんと!なんと!
64年ぶりの夢叶う!ウオッカ先頭!
牝馬が見事に決めました!!」
●ウマ娘のウオッカはこちら●
↓ウオッカは大体こんな馬↓
(https://jra.jp/gallery/3minmeiba/horse11/)
ウオッカは、かつてJRAに所属した日本の競走馬、繁殖牝馬である。
牝馬としてクリフジ以来64年ぶり、3頭目の日本ダービー制覇を成し遂げるなど、当時トップタイのGI7勝を挙げた。
また、牝馬のジャパンカップ制覇はホーリックス以来20年ぶり4頭目、日本産牝馬としては初。
名前の由来は父・タニノギムレットから。
ギムレットなので「ジン」にする案もあったが、語呂が悪いので同じくらい度数の強い酒である「ウオッカ」が採用された。なお冠名の「タニノ」はウオッカの度数を薄めないようにと外された。
前述のとおり、GI7勝は当時トップタイである。
ここから派生して、父親のギムレットがウオッカを息子扱いしたり、「なんでダイワスカーレットと種付けしなかったの?」と言われたりする。
もちろんネタであり、ウオッカは正真正銘の女の子です。
64年ぶりの夢叶う!ウオッカ先頭!
牝馬が見事に決めました!!」
●ウマ娘のウオッカはこちら●
↓ウオッカは大体こんな馬↓
(https://jra.jp/gallery/3minmeiba/horse11/)
ウオッカは、かつてJRAに所属した日本の競走馬、繁殖牝馬である。
牝馬としてクリフジ以来64年ぶり、3頭目の日本ダービー制覇を成し遂げるなど、当時トップタイのGI7勝を挙げた。
また、牝馬のジャパンカップ制覇はホーリックス以来20年ぶり4頭目、日本産牝馬としては初。
名前の由来は父・タニノギムレットから。
ギムレットなので「ジン」にする案もあったが、語呂が悪いので同じくらい度数の強い酒である「ウオッカ」が採用された。なお冠名の「タニノ」はウオッカの度数を薄めないようにと外された。
性別 | ♀ |
---|---|
毛色 | 鹿毛 |
生年月日 | 2004年4月4日 |
現役年 | 2006年-2010年 |
没年月日 | 2019年4月1日 |
父 | タニノギムレット |
母 | タニノシスター |
母の父 | ルション |
生涯成績 | 26戦10勝 |
獲得賞金 | 13億3356万5800円 |
- 2006年:阪神ジュベナイルフィリーズ
- 2007年:東京優駿*1
- 2008年:安田記念、天皇賞(秋)
- 2009年:安田記念、ヴィクトリアマイル、ジャパンカップ
前述のとおり、GI7勝は当時トップタイである。
調教師の角居勝彦の意向で、1996年のビワハイジ以来11年ぶりの牝馬ダービー出走を決める。
東京コース全勝のフサイチホウオーが1番人気だった。
ウオッカは前年の阪神JFを優勝したものの、桜花賞2着が評価を大きく落とし3番人気(倍率2桁)だった。
レース序盤から中盤にかけて、ウオッカは後方待機で自分の走りに徹した。
終盤は自慢の末脚でごぼう抜きをし、見事優勝を飾る。
なおこの時の上り3ハロンは推定であるものの33秒0を記録し、この記録はダービー史上最速であった。*2
1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに続き、史上3頭目のダービー制覇牝馬となった。
オークスは創設当初は秋開催だったために、ダービーとオークスの両方に出走する牝馬が多かった。
しかし、1953年にオークスがダービーの前週に移動してからその数は激減。1953年まではダービーに出走した牝馬が112頭だったのに対し、1953年からウオッカ出走までは15頭しかいなかった。
実質的に初のダービー牝馬と言っても過言ではない活躍ぶりだったのである。
父・タニノギムレットは2002年のダービー馬であり、史上5組目の親子ダービー制覇(父娘では唯一)を達成している。
騎手の四位洋文にとっても初のダービー制覇となった。あまりの嬉しさに、レース後のコメントでは「もう騎手を辞めてもいい」と発言した。
余談であるが、皇太子徳仁親王(当時)が台覧していたため、四位は入線後、馬上から脱帽し最敬礼を行った。
また、内閣総理大臣賞を授与するため安倍晋三内閣総理大臣(当時)も来場していた。
東京コース全勝のフサイチホウオーが1番人気だった。
ウオッカは前年の阪神JFを優勝したものの、桜花賞2着が評価を大きく落とし3番人気(倍率2桁)だった。
レース序盤から中盤にかけて、ウオッカは後方待機で自分の走りに徹した。
終盤は自慢の末脚でごぼう抜きをし、見事優勝を飾る。
なおこの時の上り3ハロンは推定であるものの33秒0を記録し、この記録はダービー史上最速であった。*2
1937年のヒサトモ、1943年のクリフジに続き、史上3頭目のダービー制覇牝馬となった。
オークスは創設当初は秋開催だったために、ダービーとオークスの両方に出走する牝馬が多かった。
しかし、1953年にオークスがダービーの前週に移動してからその数は激減。1953年まではダービーに出走した牝馬が112頭だったのに対し、1953年からウオッカ出走までは15頭しかいなかった。
実質的に初のダービー牝馬と言っても過言ではない活躍ぶりだったのである。
父・タニノギムレットは2002年のダービー馬であり、史上5組目の親子ダービー制覇(父娘では唯一)を達成している。
騎手の四位洋文にとっても初のダービー制覇となった。あまりの嬉しさに、レース後のコメントでは「もう騎手を辞めてもいい」と発言した。
余談であるが、皇太子徳仁親王(当時)が台覧していたため、四位は入線後、馬上から脱帽し最敬礼を行った。
また、内閣総理大臣賞を授与するため安倍晋三内閣総理大臣(当時)も来場していた。
出走するウマ全員に重賞優勝経験があり、その中でもG1優勝経験のあるウオッカ・ダイワスカーレット・ディープスカイの「3強対決」が注目を集めた。
1番人気はウオッカ。ここまでのG13勝が評価されていた。
2番人気はダイワスカーレット。前年の有馬記念2着、大阪杯優勝、ウオッカに3勝1敗の好成績などが評価された。
ウオッカvsスカーレットはライバル牝馬対決、ウオッカvsスカイはダービー馬対決*3、スカーレットvsスカイはアグネスタキオン産駒対決と見所の多いレースとなった。
ライバル・ダイワスカーレットは単騎で逃げ、ウオッカはディープスカイをマークする形でレースが進んだ。
直線に入り残り300メートルからディープスカイとともにダイワスカーレットに並ぶ。
ゴール前はウオッカとダイワスカーレットが2頭並んでの競り合いとなり、スカーレットは一旦後退しかけたが、再び差し返す。
これに再び並び掛けたウオッカとダイワスカーレットはほぼ同着でゴールとなった。大接戦ドゴーン!
13分に及ぶ写真判定の末、2cmという僅差で勝利した。
ゴール前後の様子を捉えた連続写真のうち、ウオッカの鼻先が前に出ていたのはゴールの瞬間のみだった。
この時のタイム1分57秒2は、1999年にスペシャルウィークが記録したレースレコード、2003年にシンボリクリスエスが記録したコースレコードをそれぞれ0.8秒更新する新記録となった。
なお、9着までが従来レコード更新、10着・11着馬が従来レコードタイという、非常にハイレベルなレースであった。
1番人気はウオッカ。ここまでのG13勝が評価されていた。
2番人気はダイワスカーレット。前年の有馬記念2着、大阪杯優勝、ウオッカに3勝1敗の好成績などが評価された。
ウオッカvsスカーレットはライバル牝馬対決、ウオッカvsスカイはダービー馬対決*3、スカーレットvsスカイはアグネスタキオン産駒対決と見所の多いレースとなった。
ライバル・ダイワスカーレットは単騎で逃げ、ウオッカはディープスカイをマークする形でレースが進んだ。
直線に入り残り300メートルからディープスカイとともにダイワスカーレットに並ぶ。
ゴール前はウオッカとダイワスカーレットが2頭並んでの競り合いとなり、スカーレットは一旦後退しかけたが、再び差し返す。
これに再び並び掛けたウオッカとダイワスカーレットはほぼ同着でゴールとなった。
13分に及ぶ写真判定の末、2cmという僅差で勝利した。
ゴール前後の様子を捉えた連続写真のうち、ウオッカの鼻先が前に出ていたのはゴールの瞬間のみだった。
この時のタイム1分57秒2は、1999年にスペシャルウィークが記録したレースレコード、2003年にシンボリクリスエスが記録したコースレコードをそれぞれ0.8秒更新する新記録となった。
なお、9着までが従来レコード更新、10着・11着馬が従来レコードタイという、非常にハイレベルなレースであった。
2008年、ヴィクトリアマイルで2着に終わったウオッカ。しかし、そこから中2週で第58回安田記念に出走。
残り1ハロンから一気に抜け出し、2着アルマダに3馬身1/2の差をつけてゴールイン。ここまで勝ちが遠のいていたウオッカだったが、復活を見せつける走りだった。
グレード制を導入した1984年以降、牝馬による安田記念制覇は1994年のノースフライト以来14年ぶり3頭目。この時の2着につけた3馬身1/2の差は過去最大の馬身差であった。
2009年は前年の無念を晴らし、ヴィクトリアマイルを制覇。2着ブラボーデイジーにJRA古馬マイルGI史上最大着差となる7馬身差をつけて完全勝利を収めた。タイムもヴィクトリアマイルのレースレコードを記録した。
なお、ヴィクトリアマイルの1番人気での勝利は史上初のだった。
そして当たり前のように安田記念に出走。
レースでは進路を塞がれ、馬群に沈んでしまう。残り100mまで前に出られず万事休すかと思われたが、馬群をこじ開け集団の前に。この時のウオッカに注目してみると、左右を確認して進路を自ら決めている様子がうかがえる。(JRA公式ではそのシーンはカンパニーを追っていて映っていないが、下記の青嶋実況版で1分15秒くらいから映っている)
そこからディープスカイを差し切って優勝した。しゅごい!
ディープスカイに騎乗していた四位は「向こうは残り100mくらいしか仕掛けていない。まともだったら5、6馬身は離されていたかもしれない」とコメントした。
安田記念連覇という記録は、1993年のヤマニンゼファー以来3頭目、牝馬としては1952年及び1953年に連覇したスウヰイスー以来のものとなった。
なお、この時の様子が、ウマ娘でのウオッカの固有スキル「カッティング×DRIVE!」の元ネタだと思われる。
残り1ハロンから一気に抜け出し、2着アルマダに3馬身1/2の差をつけてゴールイン。ここまで勝ちが遠のいていたウオッカだったが、復活を見せつける走りだった。
グレード制を導入した1984年以降、牝馬による安田記念制覇は1994年のノースフライト以来14年ぶり3頭目。この時の2着につけた3馬身1/2の差は過去最大の馬身差であった。
2009年は前年の無念を晴らし、ヴィクトリアマイルを制覇。2着ブラボーデイジーにJRA古馬マイルGI史上最大着差となる7馬身差をつけて完全勝利を収めた。タイムもヴィクトリアマイルのレースレコードを記録した。
なお、ヴィクトリアマイルの1番人気での勝利は史上初のだった。
そして当たり前のように安田記念に出走。
レースでは進路を塞がれ、馬群に沈んでしまう。残り100mまで前に出られず万事休すかと思われたが、馬群をこじ開け集団の前に。この時のウオッカに注目してみると、左右を確認して進路を自ら決めている様子がうかがえる。(JRA公式ではそのシーンはカンパニーを追っていて映っていないが、下記の青嶋実況版で1分15秒くらいから映っている)
そこからディープスカイを差し切って優勝した。
ディープスカイに騎乗していた四位は「向こうは残り100mくらいしか仕掛けていない。まともだったら5、6馬身は離されていたかもしれない」とコメントした。
安田記念連覇という記録は、1993年のヤマニンゼファー以来3頭目、牝馬としては1952年及び1953年に連覇したスウヰイスー以来のものとなった。
なお、この時の様子が、ウマ娘でのウオッカの固有スキル「カッティング×DRIVE!」の元ネタだと思われる。
第52回有馬記念ファン投票では、1位となる10万544票を獲得。3歳牝馬史上初のファン投票1位となった。なおレース結果
ダイワスカーレットの直接対決に負け続けていたことが響き、なんとJRA賞最優秀3歳牝馬のタイトルをスカーレットに奪われてしまった。
しかし、ダービー制覇の偉業が認められ、JRA賞特別賞・関西競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞した。
ダイワスカーレットの直接対決に負け続けていたことが響き、なんとJRA賞最優秀3歳牝馬のタイトルをスカーレットに奪われてしまった。
しかし、ダービー制覇の偉業が認められ、JRA賞特別賞・関西競馬記者クラブ賞の特別賞を受賞した。
第49回宝塚記念ファン投票は1位となる7万5594票を獲得。ただし、休養を優先させ宝塚記念には出走しなかった。
第53回有馬記念のファン投票では13万6619票を獲得し2年連続1位になったが、前年のトラウマからか出走はしなかった。
JRA賞は、年度代表馬と最優秀4歳以上牝馬に選出された。
牝馬の年度代表馬は1997年エアグルーヴ以来11年ぶり史上2頭目。
第53回有馬記念のファン投票では13万6619票を獲得し2年連続1位になったが、
JRA賞は、年度代表馬と最優秀4歳以上牝馬に選出された。
牝馬の年度代表馬は1997年エアグルーヴ以来11年ぶり史上2頭目。
ファン投票により、2010年目黒記念は「ウオッカメモリアル」の副名称をつけて実施された。
2011年5月9日、平成23年度顕彰馬選定記者投票で186票中157票(得票率84.4%)を獲得し、JRA顕彰馬に選出された。
2011年5月9日、平成23年度顕彰馬選定記者投票で186票中157票(得票率84.4%)を獲得し、JRA顕彰馬に選出された。
アイルランドにて繁殖生活を送る。産駒を外国産馬として日本で走らせる予定が公表された。
第1仔、第2仔は未勝利に終わり、その後も重賞勝利産駒は誕生していない。
現在は第6仔セブンポケッツ(2017年産駒)、第7仔フランカ(2019年産駒)がイギリスにて現役である。
第1仔、第2仔は未勝利に終わり、その後も重賞勝利産駒は誕生していない。
現在は第6仔セブンポケッツ(2017年産駒)、第7仔フランカ(2019年産駒)がイギリスにて現役である。
- イケメンな顔立ちで女性ファンが多い
- 2歳の時点で古馬と見紛うほどの完成された肉体
- ダービー制覇
- 07年世代の代表格
- 尋常じゃないくらい牝馬にモテる
ここから派生して、父親のギムレットがウオッカを息子扱いしたり、「なんでダイワスカーレットと種付けしなかったの?」と言われたりする。
もちろんネタであり、ウオッカは正真正銘の女の子です。
上記の通り、ウオッカは女性ファンが多い。その中でも特に有名なのが、レッドディザイアさんだろう。
ブエナビスタの牝馬三冠を阻止した、09年世代の名牝である。
はい、馬です。
ジャパンカップで一緒に走って3着に入ったり、一緒にドバイ旅行に行ったり、主戦騎手が同じ四位だったり、現役の時からとても仲の良かったふたり。
ドバイ遠征では非常に落ち着かない様子のレッドディザイアの隣にウオッカが来ると、途端に落ち着いたらしい。
しかし、ウオッカは引退後、アイルランドでセカンドライフを送ることになる。
出発時、レッドディザイアは寂しそうにウオッカをずっと見つめていたという…。
余りにも可哀想だったので、厩務員はレッドディザイアの部屋にウオッカの顔写真を貼ってあげましたとさ。
ブエナビスタの牝馬三冠を阻止した、09年世代の名牝である。
はい、馬です。
ジャパンカップで一緒に走って3着に入ったり、一緒にドバイ
ドバイ遠征では非常に落ち着かない様子のレッドディザイアの隣にウオッカが来ると、途端に落ち着いたらしい。
しかし、ウオッカは引退後、アイルランドでセカンドライフを送ることになる。
出発時、レッドディザイアは寂しそうにウオッカをずっと見つめていたという…。
余りにも可哀想だったので、厩務員はレッドディザイアの部屋にウオッカの顔写真を貼ってあげましたとさ。
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